青い鴉のブログ

光のプログラマーの青い鴉(ぶるくろ)が情報発信していくブログです。

文芸の未来予想図 ‐ ネタばれ世界

で、あるがゆえに。と彼は言った。で、あるがゆえに未来は提示されねばならん。で、あるがゆえに。


僕が文芸に持っている不満は、それがべたーーーーーっとしていることだ。


文章の流れや段落の関係性などというものは、しょせん時系列順に並んでいる必要など無いのであって、ネタばれだとかそんなのつまらないよとか図なんて入れちゃダメだよとか言われようが言われまいが、情報は最終的に消化されてしまうものである。
本を二度読むのは感動のイメージを思い出し、言い換えるなら再活性化するためであって、別に一度読んだことを100%忘れたからというわけではないのです。


すると本質的に書籍は食べ物と同じようなものであり、結局胃袋でごっちゃになるのなら、なぜ綺麗に並べて出さなきゃいけないのという野蛮人の根本的疑問にはきっと誰も答えられない。それは遠い昔からのルールであり否定できないと思い込んでいる。


あなたちょいと本を上下ひっくり返して読んでごらんなさい。文章はひっくり返しても読めるのです。それが人間の能力ですゆえ、下から読んだって誰が怒るわけがあろうだかっ!!


人類は散逸的に与えられた情報を画像的に読み取って脳内で再構築することが可能である。それは超越的な認知を形成し、文章のストーリーだとか公開順序だとかそういう古典的努力の一切を超越したところに未来的な像を結ぶ。
どうして彼らは最初から図を添付しないのか。どうして彼らは最初からキャラクターシートを添付しないのか。どうしてどうしてどうしてネタばれしてはいけないのか。


僕は英雄の話が好きです。それはなぜかというと、そこにはありふれたストーリーがあり、ゆえにストーリーを知らなくても感動できるからです。
最期に英雄が立ち上がって、敵は倒れ、めでたしめでたしになる。そこに銀の弾丸が介在したかどうか嘘吐き男の嘘はほんとに本当になったのかは重要ではないです。


「それは英雄の話であり、英雄の話であった、あるだろう」


そこに文芸的価値の本質を見出すならば、文芸の形態は粉々に粉砕されても何も失っていないことになる。だから僕の文体が壊れているのは許されるべきなのであり以下略。